なんのため?

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創価大学の通信教育部には「学光」という機関誌があります。
その中に「宅建の資格を取ろう」という記事がありました。
寄稿者は今度スクーリングを受ける民法総則の講師でもある、
法学部の助教授の先生です。

その中に、「不動産業界に就職しなくても、知っていて損にならない」と書いてありますが、
全くその通りだと思います。
今までいかに法律に無知だったか。
法律を知らないとほんとに損だと感じています。
これからでも遅くはないので、ぜひ受けられてみてはいかがでしょうか?
そういえば7月3日から申し込みが始まりますね。
忘れずに申し込みをしておかないと。

大学の勉強をしながら資格を取る方はけっこういらっしゃるようです。
皆さんがんばっていらっしゃいますね。
私も負けないように学習して必ず合格します。

ところで、何のために資格を取るのか?
何のために大学で学習しているのか?
最近何度も考えることです。
やはり人の役に立ってこそ意味があると思います。

一級建築士の試験も変わろうとしていますが、
試験は一つの通過点にすぎないと思います。
試験に合格するのと仕事が出来るのとは違いますね。
既存の一級建築士に試験を課すことや、
更新時に試験をすることに不満を持つ人もいるでしょう。
わたしはそれでもいいと思います。

試験に落ちたら仕事が出来ないじゃないかと怒る人もいるでしょう。
たしかに試験に合格することと仕事が出来ることは違うと思いますが、
その程度の努力はしていいと思います。
常に新しい技術も開発されていることですし、
どこまで行っても勉強する必要があるからです。
逆にその程度の努力もしない人が設計した建物って。。ちょっと不安に思います。
あ、試験に不合格だからといってすぐに仕事が出来ないのは、やっぱりそれは困ります。
なので、猶予期間を設けて、その期間内に合格するようにしてもらうのがいいと思っています。
または、再試験を2回受けられると言うのもいいでしょう。(合計3回)
それでも落ちるようじゃ建築士をやめた方がいいでしょう。
私ももっと努力しないといけないと感じています。

ただ、構造計算書をごまかした事件や、
手抜き工事などの解決策になるのかといったら、
全く効果はないと思います。
それとこれとは原因が違うからです。

大事なのは何のために構造計算するのかと言うことです。
安全な建物を造るためなのではないでしょうか?
さらには、幸せな生活を送るためでしょう。
明日は二級建築士の学科試験ですが、
何のために資格を取るんでしょう
すべては人の幸せが自分の幸せにつながっていくと思います。
自分だけの幸せを考えていても、最終的には自分が不幸になる。
ニュースを見ればよくわかります。
すべて自分のエゴじゃないですか。
地震の時に発覚するまで黙っておこうなんて人間じゃない。
建築業界自ら排除するくらいの発言がなければダメだと思います。
はっきり言って今の建築業界は信用にならない。
家を購入する人が賢くならないとまた同じことが繰り返されるでしょうね。
コスト重視ではなく安全重視で見極めたいものです。

国も真剣に考えているのなら、もっとほかの方法を考えられるはず。
キーワードは人材育成だと思います。
学校教育から変えないといけない時期にきています。
公明党は何してるの?
こういうことが出来るのは公明党だけのはずです。

Profile

タロー:

創価大学通信教育部法学部法律学科に在籍。二級建築士(2005年合格)、初級シスアド。電気製品、タイ料理、映画が好き。かつて新人類と呼ばれた世代。「若者を打ち負かしてやる!」との意気込みで日々勉強に励む。私へのメールはこちら