罪と罰

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今週はドストエフスキーの「罪と罰」を読みました。
この後、トルストイの「戦争と平和」を読みます。
急に読書に目覚めた感じですが、
落ち着いた時間を過ごすというのは、さすが「読書の秋」といったものだと思います。

この本を読んで思い出されるのは、光市の母子殺人事件です。
あまり軽々に書くのは許されない事件だと思いますが、
これがずっと頭から離れないので書いておこうと思います。

今枝仁弁護士と橋下徹弁護士のことや、
死刑制度についてどうこう書こうとは思っていません。
ただ、弁護している今枝仁弁護士や他の弁護士には関係せざるを得ないでしょう。

今枝仁弁護士がブログで書いている内容には、毎回驚かずにいられません。
弁護士に課せられている職務は何なのでしょうか。
弁護士法の第一条には、

第一条  弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
2  弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、
社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。

とあります。
今枝仁弁護士は「刑事弁護の真髄」というブログ記事などでいろいろと書いていますが、
私には全く理解できる内容ではありません。
刑事弁護士にとって最重要なのは真実を明らかにすることだと確信します。
それは、検察官も同じでしょう。
その上で、被害者と加害者の人権を考えるのが順当だと思うのです。

果たして、先の差し戻し審で真実は語られたのでしょうか。
とてもそうは思えません。
真実には一貫した筋が通り、証拠や状況と食い違いのない理由があるはずです。
罪と罰のエピローグに、「犯人は自体を曖昧にすることも、
自分の有利なように状況をやわらげることも、
事実をまげることもせず、またどんな些細な点も忘れずに、
自分の供述をきっぱりと、正確、明瞭に裏付けた。
彼は殺人の全過程をもっとも細かな点まで物語った。」とありますが、
まさにこれだと思うのです。

1審と差し戻し審が全く異なるということは、どちらかは嘘、またはどちらも嘘となる。
あらかじめ布テープやひもを用意したときの心中や、
主婦一人になる日中に排水検査の作業員を装うって訪問しようと考え、
あの残虐な犯行に及ぶまで彼は何を考え、今は何を考えているのか。

彼は本当に幼稚でドラえもんのあの話や性交での復活など信じているのだろうか。
たとえ、殺すつもりがなかったというのが本当だとしても、
殺してしまったのは事実であり、その罪の重さにさいなまれないのだろうか。
そんなに、彼は異常で良心のこれっぽっちもないのだろうか。

そもそも良心のこれっぽっちもないような人間なら、生きている価値はない。
極刑が死刑でなくても、もうすでに死んでいるようなものです。

本当に精神的におかしいというのでない限り、
全てを話し、妥当な罰を受けなければ、
一生罪の呵責にさいなまれ、苦しみもがいて生きなければいけなくなる。
そう、女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者が、
その後も、自分が殺したということで周りの恐怖をあおっていたというのも、
それは彼らが事件のことを一日も忘れることが出来なかった何よりの証拠でしょう。

全てをさらけ出させること。
そうしないと、一生苦しむことになる。
全てをさらけ出させることが被害者のため、
ひいては加害者のためになることではないだろうか。

つまり、私が率直に言いたいのは、
母親の面影を抱いて接近したという理由で、
あの残忍な犯行を行ったとはとうてい納得がいくのではないということ。
ましてや用意周到であり、発育レベルが3歳児などとは無理矢理すぎると感じる。
母を殺した上にお子さんまでにも手をかける。そんな馬鹿なことがあるだろうか。
それだけの理由なら、拒否された時点でその場を去るのではないか。
そこまでに及んだ理由な何なのか。

今枝仁弁護士風にいわせてもらえば、「真の正義の弁護士よ出でよ!」といいたい。
それは他でもなく、今枝仁弁護士自身の心中に存在するはずだ。
勇気を持って誠実に真の正義の弁護をすることを望みます。

なぜ最高裁が原審を破棄し、差し戻したのか。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20060620163659.pdf
その理由を見ると、最高裁は、「これを本件についてみると,
被告人は,強姦によってでも性行為をしたいと考え,
布テープやひもなどを用意した上,日中若い主婦が留守を守るアパートの居室
を物色して被害者方に至り,排水検査の作業員を装って室内に上がり込み,被害者
のすきを見て背後から抱き付き,被害者が驚いて悲鳴を上げ,手足をばたつかせる
など激しく抵抗するのに対して,被害者を姦淫するため殺害しようと決意し,その
頸部を両手で強く絞め付けて殺害し,万一のそ生に備えて両手首を布テープで緊縛
したり,同テープで鼻口部をふさぐなどした上,臆することなく姦淫を遂げた。さ
らに,被告人は,この間,被害児が被害者にすがりつくようにして激しく泣き続け
ていたことを意にも介しなかったばかりか,上記犯行後,泣き声から犯行が発覚す
ることを恐れ,殺意をもって,被害児を持ち上げて床にたたき付けるなどした上,
なおも泣きながら母親の遺体にはい寄ろうとする被害児の首に所携のひもを巻いて
絞め付け,被害児をも殺害したものである。強姦を遂げるため被害者を殺害して姦
淫し,更にいたいけな幼児までも殺害した各犯行の罪質は甚だ悪質であり,2名の
尊い命を奪った結果も極めて重大である。」 

ここに証言を覆した理由が見えてくる。

さらに最高裁は、「各犯行の動機及び経緯に酌むべき点はみじんもなく,
強姦及び殺人の強固な犯意の下に,何ら落ち度のない被害者らの生命
と尊厳を相次いで踏みにじった犯行は,冷酷,残虐にして非人間的な所業であると
いわざるを得ない。さらに,被告人は,被害者らを殺害した後,被害児の死体を押
し入れの天袋に投げ入れ,被害者の死体を押し入れに隠すなどして犯行の発覚を遅
らせようとし,被害者の財布を窃取しているなど,犯行後の情状も良くない。遺族
の被害感情はしゅん烈を極め,これに対し,慰謝の措置は全く講じられていない。
白昼,ごく普通の家庭の母子が自らには何の責められるべき点もないのに自宅で惨
殺された事件として社会に大きな衝撃を与えた点も軽視できない。
以上の諸点を総合すると,被告人の罪責は誠に重大であって,特に酌量すべき事
情がない限り,死刑の選択をするほかないものといわざるを得ない。」といっています。

極刑を回避するとすれば、「特に酌量すべき事情の有無について検討するに」と続き、
一審で、強姦については計画性があったが殺人については計画性はなかったとし、
酌量の理由としたが、最高裁は、「しかしながら,被告人は,強姦という凶悪事犯を計画し,
その実行に際し,反抗抑圧の手段ないし犯行発覚防止のために被害者らの
殺害を決意して次々と実行し,それぞれ所期の目的も達しているのであり,
各殺害が偶発的なものといえないことはもとより,
冷徹にこれを利用したものであることが明らかである。」とし、
酌量の理由にはならないといっています。

一審で酌量のもう一つの理由についても、
最高裁は、「原判決及び第1審判決は,被告人が,それなりに反省の情を芽生えさせて
いると見られることに加え,犯行当時18歳と30日の少年であったこと,犯罪的
傾向も顕著であるとはいえないこと,その生育環境において同情すべきものがあ
り,被告人の性格,行動傾向を形成するについて影響した面が否定できないこと,
少年審判手続における社会的調査の結果においても,矯正教育による可塑性が否定
されていないこと,そして,これらによれば矯正教育による改善更生の可能性があ
ることなどを指摘し,死刑を回避すべき事情としている。」と、一審の判決に触れつつ、
このことについても、「しかしながら,記録によれば,
被告人は,捜査のごく初期を除き,基本的に犯罪事実を認めているものの,
少年審判段階を含む原判決までの言動,態度等を見る限り,本件の罪の深刻さと向
き合って内省を深め得ていると認めることは困難であり,被告人の反省の程度は,
原判決も不十分であると評しているところである。被告人の生育環境についても,
実母が被告人の中学時代に自殺したり,その後実父が年若い外国人女性と再婚して
本件の約3か月前には異母弟が生まれるなど,不遇ないし不安定な面があったこと
は否定することができないが,高校教育も受けることができ,特に劣悪であったと
までは認めることができない。さらに,被告人には,本件以前に前科や見るべき非
行歴は認められないが,いともたやすく見ず知らずの主婦をねらった強姦を計画し
た上,その実行の過程において,格別ちゅうちょした様子もなく被害者らを相次い
で殺害し,そのような凶悪な犯行を遂げながら,被害者の財布を窃取した上,各死
体を押し入れに隠すなどの犯跡隠ぺい工作をした上で逃走し,さらには,窃取した
財布内にあった地域振興券を友人に見せびらかしたり,これでカードゲーム用のカ
ードを購入するなどしていることに徴すれば,その犯罪的傾向には軽視することが
できないものがあるといわなければならない。」と酌量の理由にならないといっています。

つまり、最高裁はこれらを「死刑を回避すべき決定的な事情であるとまではいえず」といっているように、
一審で極刑を回避した理由は不十分であるといったのです。
そうなると、弁護士は今回の差し戻し審のような手段をとらざるを得なかったのでしょう。
しかし、あれは真実ではない。
状況や証拠と比較してつじつまが合わなすぎる。

今枝仁弁護士は本村さんからの「良心に任せる」との言葉をねじ曲げしょうとしている。
本村さんは、あなたの弁護は正義か加害者の証言は真実かといっているのだと思う。
彼がどんな罰を受けようとも、
彼が彼の犯した罪に苛まれるほど認識しなければ彼自身救われることはない。

Profile

タロー:

創価大学通信教育部法学部法律学科に在籍。二級建築士(2005年合格)、初級シスアド。電気製品、タイ料理、映画が好き。かつて新人類と呼ばれた世代。「若者を打ち負かしてやる!」との意気込みで日々勉強に励む。私へのメールはこちら